STI (SUBARU TECNICA INTERNATIONAL) は、SUBARUモータースポーツ活動を統括するために設立された富士重工業株式会社(FHI)の子会社です。STIの基幹業務は、全世界の愛好家に対するモータースポーツ用ベース車両や競技専用部品の供給、チューニング技術を応用したSUBARU特別仕様車の企画・開発、カーライフを彩るアクセサリーやチューニング部品の企画・販売などです。これらの業務を通じ、STIは多くのSUBARUファンに特別な満足感をお届けしています。

1988年4月、STI誕生

米国アリゾナ州のテストコースに1989年1月、初代レガシィによる、FIA公認10万km世界速度記録を樹立。16年間その記録を保持した。
1972年、富士重工業はオーストラリアのサザンクロスラリーに日本車として初めてのFF車レオーネで参戦し、80年のサファリラリーにWRC初のAWDカー、レオーネ4WDを投入。そして、その後来るべきAWDターボカーによる新世代モータースポーツに対応するため、1988年4月STIは誕生しました。創立社長は、富士重工業の取締役をつとめた久世隆一郎で、彼は72年のサザンクロスラリーに初出場したレオーネのコ・ドライバーだった人です。久世は、STIを創設するや否や、SUBARUの命運を担うクルマ、初代レガシィによるアメリカ、アリゾナでの世界速度記録へ挑戦するイベントの企画運営に会社として取り組みました。そして、それから16年間誰にも破られることのなかった10万km連続走行世界速度記録を樹立したのです。「SUBARUを世界一に」を使命とするSTIは、最初から「世界一」のタイトルをもつブランドとして、船出することになりました。

WRCへの本格参戦を果たす

STI初代社長久世隆一郎の「SUBARUを世界一に」の願いは、95年から97年、インプレッサによる3年連続WRCマニュファクチャラリーズチャンピオン獲得で実現した。これは日本車で唯一の快挙である。
SUBARUは過酷なサファリでAWD技術を磨き、90年サファリからはレガシィでWRCへの本格参戦をスタートしました。STI初代社長の久世は、英国の新進気鋭チームと組み、90年に「SUBARUワールドラリーチーム」を結成。この年のアクロポリス(ギリシャ)から、エンジンは日本でシャシーは英国という日英連携開発体制で参戦します。一方STIによるSUBARUのWRC活動は「WRCで勝てるマシン」の開発につながり、そしてついに92年、インプレッサというバッケージとなって登場します。93年ニュージーランドでSUBARUとして初のWRC優勝をレガシィで経験すると、同年のフィンランドには後継車のインプレッサがデビュー戦でいきなり2位表彰台。そして、94年には早くもWRCで3勝を収めてシリーズ2位となります。続く95年、96年はまさに破竹の勢いで勝利を重ね、連続してWRCマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得。ワールドラリーカーという新しい車両規定が導入された97年、この規定に沿って開発されたインプレッサWRカーは、この年の全14戦中8戦を制する快挙で日本車としては初の3年連続WRCマニュファクチャラーズチャンピオンとなりました。

インプレッサSTIは、WRC対応の進化版がそのルーツ

WRCを戦うベース車の性能を上げるため、また、ラリーストやユーザーからの強い要望もありインプレッサSTIバージョンを発案。限定生産車だったが、初代STIバージョンの成功によってバージョンIIからは富士重工業の量産カタログモデルとなった。その後バージョンの数字は重ねても初代が持っていた「常に高性能を追求する志」は現在も引き継がれている。
92年11月に登場したインプレッサは、93年中盤からWRCに投入されました。標準で240PSのパワーをもつインプレッサでしたが、WRCでヨーロッパの強豪と戦うためには発展型モデルの投入が要求されていました。そこで94年1月にターボモデル「WRX」をベースとし、鍛造ピストン、専用ECU、大径マフラーなどを装備した「WRX-STI」を発表。250PSにパワーアップしたこの車両は全数受注生産で、エンジンはSTIによってファインチューニングが施されました。 94年10月にインプレッサがマイナーチェンジを受けると、これにあわせてドライバーズコントロールセンターデフ(DCCD)を搭載し、強化シリンダーヘッド、ターボ過給圧アップなどで275PSまでパワーが引き上げられた「STIバージョン」が登場。一大ブームを巻き起こしました。この成功によって限定モデルのSTIバージョンは、95年のバージョンII以降、量産カタログモデルとなります。その後、96年のSTIバージョンIIIからは280PSとなり、さらに進化を続けて行きます。そして、GC8型初代インプレッサのSTIバージョンはついに、1999年の「VI」まで続いて行ったのです。

少量限定のプレミアム特別仕様をSTIの手で

STIがプロデュースするSUBARUプレミアム限定車両の先駆けは、WRC 3年連続チャンピオン獲得を記念した特別限定車「インプレッサ22B」であった。限定台数400台は、数日で完売したが、手づくりのため製造完了までに5ヶ月かかった。
WRC用発展モデルとして世に出たインプレッサSTIバージョンは、このようにして量産車両として育って行きましたが、一方で、STIはさらにハイパフォーマンスな特別仕様車を次々に企画します。特にエポックメイキングだったのが、95年から97年まで3年間WRCマニュファクチャラーズチャンピオンとなったことを記念して開発された「インプレッサ22B STIバージョン」でした。ワールドラリーカーと同じ幅広のブリスターフェンダーなどを装着したこのクルマは、98年3月の発表と同時にオーダーが殺到。あっと言う間に完売となりました。このクルマは狙い通りにSTIのブランドを強化。「SUBARU全体をリードする存在になる」、という理想に向け大きな一歩を踏み出しました。そして、この流れはGC8型の後期に発売した「インプレッサS201」、そしてフルモデルチェンジ受けた2000年以降は、GDB型インプレッサをベースとした「S202」、「S203」、「S204」という少量限定のプレミアムスポーツセダンとして血統を繋いでいます。

インプレッサが積み重ねてきたWRC勝利数は日本車トップ

PWRCでは、2003年以来4年連続でSUBARUユーザーがチャンピオンを獲得。インプレッサWRX STI spec CはグループNラリーカーの世界スタンダードとなった。写真は日本人初のFIAワールドチャンピオン、新井敏弘。(2005年、2007年チャンピオン)
2000年のフルモデルチェンジに伴いWRCを戦うインプレッサ・ワールドラリーカーも2001年からGDB型ベースとなりました。時を同じくしてヨーロッパの強豪メーカーが相次いでこのワールドラリーカーの分野に参入。インプレッサは彼ら強力なライバルと戦いながら、性能を向上させてきました。GDB型インプレッサは、デビューイヤーの01年にリチャード・バーンズが、95年のコリン・マクレーに続いて二人目のWRCドライバーズチャンピオンに輝きました。03年にはペター・ソルベルグもインプレッサでワールドチャンピオンを獲得し、SUBARUは誰が乗っても速いことを証明しました。SUBARUのWRC勝利数は合計47。日本メーカーとしてはもちろん最多勝利数で、そのうちインプレッサが積み重ねた勝利は46です。今やインプレッサは、押しも押されもしないワールドクラスのスポーツセダンとして世界中のラリーファンに親しまれています。また、量産車に近いカテゴリーのグループNで闘う世界ラリー選手権P-WRCでは、2003年から4年連続で、インプレッサを駆るドライバーがチャンピオンを獲得しており、特に05年には日本人トップラリードライバーの新井敏弘が念願の世界王者の座を射止め、2007年には再度チャンピオンとなっています。

新世代インプレッサに脈打つSTIの血統

インプレッサの走りのパフォーマンスに磨きをかけ、さらに質感向上にもこだわった特別仕様車「S203」は、「プレミアムスポーツセダン」という新ジャンルの確立に貢献した。「S」の称号は、エンジン、シャシーともSTIの手が入ったクルマに与えている。
量産車によるグループNラリー活動は量産車の素性が良くなければ勝利は望めません。インプレッサWRX STIは富士重工業の量産モデルとしての地位を確立しましたが、一方でSTIの開発部門が富士重工業と強力に連携し、カスタマーレベルのラリー競技で常に高いパフォーマンスが発揮できるよう、年次改良を重ねる毎に細かい仕様変更を盛り込んできました。その結果、特に2000年代後半には世界各国の国内ラリー選手権や地域選手権でインプレッサが快進撃を続けました。このように、常に進化し続けるインプレッサWRX STIには、世界中のモータースポーツフィールドからの声やニーズが集約され、盛り込まれているのです。

WRCワークス活動の終了と新しいモータースポーツチャレンジ

レガシィB4の力強い走りは、サーキットを訪れる多くの熱心なSUBRUファンを魅了している。レースのために生まれたような世界の名車達にも一歩も引かないパフォーマンスは、SUBARUブランドの強化にも大きく貢献している。
2008年シーズンをもって、富士重工業はWRCへのワークスレベル参戦ブログラムを終了すると発表しました。 STIはこの決定を受け、これまでにWRCで培った技術やリソースを活用できるモータースポーツカテゴリーへの挑戦を検討し始めました。ひとつは、旧来から続けている日本のSUPER GTシリーズGT300車両への技術供与があげられます。使用条件は異なっても、瞬間的に強力なパフォーマンスや過酷な条件下での耐久性と性能維持といった課題はWRCと同じです。2009年からはじまったレガシィB4をベースとする新たなGT300車両の開発に当たっては、富士重工業およびチーム運営とマシンの開発を担当するR&D SPORT社との協力体制のもと、数々のアイディアをGT300車両用の水平対向ターボエンジンの性能開発に活かしています。その甲斐あって、2010年8年の同シリーズ鈴鹿700kmレースで優勝すると、翌2011年の同鈴鹿500kmレースでも連覇をおさめることに成功しています。

「運転がうまくなるクルマ」の提唱と新たなドライビングバリューの創出

WRX STI tSは、大人のスポーツセダンである4ドアセダンをベースにカーボンルーフなどを取り入れた意欲作。AT変速機を備えたA-lineもラインアップに加え、STIコンプリートカーに新境地を開いた。
モータースポーツ車両を速くするためのチューニングやセットアップは、実は公道を走るロードカーの安全で楽しい走りのためのセッティングと同等であり、あたかもドライバーの「腕が上がったかのような」感覚をもつほど快適なドライビングこそが理想、という概念をSTIはスポーツパーツの開発に取り入れることになりました。限界ぎりぎりでヒヤヒヤするような走りではなく、難なく快適にしかも速くコーナーを駆け抜けて行くことができるクルマ。それが「運転がうまくなるクルマ」という考えから、「強靭でしなやかな」走りのためのパーツを組み込んだコンプリートカーの開発にも注力するようになります。それが、2007年以降のTuned by STIシリーズ、のちのtSシリーズへと進化して行きます。一方で、その「強靭でしなやかな走り」をとことん突き詰めた究極のコンプリートカーであるSシリーズ、よりハードな走りを実現するRシリーズなどにも投入され、多くのお客様の共感を得ています。

SUBARUファンと共に、「ふたたび世界一を目指す」

努力とアイディアさえあれば、東洋の島国から来たチームでもヨーロッパの名車や強豪チームと真っ向勝負し、勝利を手に入れることができる。それを実現したのが2011年のニュルブルクリンクチャレンジだった。今後は世界からマークされる存在となるはずだ。
WRC技術をロードカーやラリー以外のモータースポーツ競技に活かすため、STIでは人材育成を兼ねてドイツのニュルブルクリンク24時間レースへ主体的に出場し、再び世界一を目指す計画を始動させました。WRCワークス活動終了直後の2009年に独自出場を果たし、STIコンプリートカー用のスポーツパーツを開発しながら、世界の強豪車種と対等に戦える競争力の醸成に務めてきました。この年はSP3Tクラスで5位に入賞しましたが、世界の壁の高さを痛感。翌2010年はさらにパフォーマンスアップを図ったマシンを投入しましたが、同クラス4位と、世界との差はまだ歴然としていました。しかし参加体制を一新し、マシンもインプレッサWRX STI 5ドアベースからWRX STI 4ドアに切り替え、空力などのレーシングデバイスも装備して「戦うマシン」となった2011年は、レース序盤から同クラスをリードし、一度もトラブルやアクシデントを起こすこともなく、堂々のクラス優勝を果たしました。この勝利から多くのアイディアや技術を生み出し、将来のSTIコンプリートカーやSTIスポーツパーツなどの開発に反映していくことを目指しています。単にモータースポーツの勝利を一瞬の出来事として済ませてしまうのではなく、SUBARUファンのためにSTIは何が出来るのか、どうしたらSUBARUオーナーが誇りを感じられるのか、それを考えながらSTIはまた次のレースに向けて性能開発に力を入れているのです。